看護師で、カウンセラーをしていらっしゃる嶋田幸子さんのコラムをご紹介します。
嶋田さんは福島県のご出身です。
コラムは、嶋田さんのお母さん(看護師)について書かれています。
6年前に、被災して電気もなく食べ物もなくなった福島の病院で、自衛隊の援助を待ちながら奮闘した一人の看護師さん、それが嶋田さんのお母さんでした。
看護師として、想像を絶する体験をしながらも必死で責務を果たしたその姿に、私達は敬意の心を持たずにはいられません。
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【6年前の今日の私の父と母】
あの震災から6年が経ちました。
もう6年、まだ6年。
毎年、今年こそは実家に帰って弟の御墓参りをしたい!!
そう思いながら、6年が経ちました。
6年前の今日、海岸で仕事だった父は2波目の津波に流されたけれど
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木に引っかかったおかげで助かりました。
きっと、弟が父を助けてくれたんだと思っています。
6年前の母は、職場の病院で患者さん達が他の病院へ搬送されるまで
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数日間、患者さんを励ましながら地震と津波でケガをした方の治療にあたったりして、
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他のスタッフと支えあって過ごしました。
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その数日間の間に、食べ物も無くなり
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停電の影響で、医療機器の電源も喪失し
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自衛隊が来るまでに、亡くなられた患者さんもおられたそうです。
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搬送されるまで、たくさんの患者さんを階段を使って運んだことなど
母は看護師として、災害時に何をしていたか私にたくさんの事を教えてくれました。
ですが
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「どうにもできなかった…、救うことができなかった…。」
そう話すといつも顔が険しくなり黙り込んでしまいます。
6年経っても、いや、気持ちが晴れる日が来るのは
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まだまだずっと先かもしれません。
母と同じように、未曾有の事態の中で
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現場で必死に自分の役割を全うした看護師さんや医療・介護のスタッフさんはたくさんいらっしゃったと思います。
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あれから6年の間に、母は定年を迎え看護師としての最後の仕事はあの震災のときになってしまいました。
私は、白衣を着て優しい笑顔で患者さんと関わる母の姿が大好きでした。
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母は、とてもとても素敵な看護師さんでした。
いつの日か、母が
「看護師になってよかった」と
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笑顔で振り返られる日が来るよう、これからも娘として支えていこうと思います。
そして私は、看護師としても
心理カウンセラーとしても
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自分の役割を精一杯やっていこうと思います。
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