小谷洋子さん~私の看護ストーリー~前編

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現在、「施設・在宅看護介護アドバイザー」「施設研修講師」として活躍されている小谷洋子さんの看護ストーリーを3回に分けてお届けします。

 

看護師を目指す方って 小さい頃から看護師になりたかった。

とか

母が看護師だったからとか志望の理由がしっかりしている方も多いと思います。

実は私は高校2年まで全く考えていませんでした。

当時は短大行って、適当に就職してなんてぼんやり思っていました。

それが2年の冬(すでに進学先別に選択科目を取っていたのに)父親が自営業で 突然

「店を改装したから国立行って、私学払えないからさ」
と簡単に言ってきたんです。

もう国立受ける授業取ってないし焦りと怒りでしたね。

それで資格取らなきゃいけないと思い看護師を選んだんです。
というか当時の私には 看護師しか思い浮かびませんでした。

入学してみると思いの外厳しい。

絶対留年なんて嫌だ!

実習出るとレポートに追われ寝る時間もほとんどない。

そんな気持ちで看護師になった私。

国家試験に受かって都立病院に就職。

都立病院では内科・耳鼻科・眼科・皮膚科・外科などの混合科、
特に外科も耳鼻科は癌が多く癌で苦悩する患者さん達と関わることが
新人の私には気持ちに寄り添えたかをいつも背中に背負った葛藤となっていました。

外科はもちろん耳鼻科は当時から手術をすることで
声を失ったり舌を取ることで一生食べることが
出来ないため告知をしておりました。
患者さんの告知を受けてから身体の大きな変化を
受け入れなければ生きることが出来ないかもしれないという
苦悩を間近で見てきました。

入職して1年目の頃、同じ歳の大学生の男の子が舌癌の疑いで入院してきました。

歳も同じ事があり彼とはすぐに打ち解けて仲良くなりました。

彼は明るくて、大学の友達が大勢お見舞いに来たり、
パチンコ行ってくるねと笑顔で外出したり
検査の間はとても活動的に動いていました。

検査の結果やはり進行性の舌癌。

オペをしないといけないという結果。

ある日準夜勤で行くとその日の申し送りは

「今日彼に告知がなされた、自殺する事もあるので注意してください。」

というものでした。

それまでも患者さんが告知を受けた例を
何件も経験しているのに彼に関しては
私はどうしていいのかわからず
怯えながら仕事をしていたものでした。

消灯の時間になり彼に特に変わった事がないまま
電気を消してホッとしたのを覚えています。

消灯してからすぐに彼からナースコールがありました。

ビクビクしながらカーテンを開け彼の元に行くと
彼は寝たまま天井を見つめながら

「癌なんだって、舌を取らなきゃいけないんだ。
そうしないと生きられないんだって。
でもね、舌を取ったら一生食べられないし喋れないんだってさ。
俺 どうしたらいい?」

一番怯えていた事が起こりました。

頭の中で言葉達や想いが、そして今までオペをしてきた人達の姿が
ぐるぐると回り始めどれくらいの沈黙が過ぎたのか、
しばらく私は彼を見つめる事しか出来なかった。

長い沈黙の後、私は一言だけ

「お願い。生きてて欲しいの。」

それしか言えませんでした。

その後しばらく彼と沈黙の時間が過ぎ彼が

「寝るね」と言った。

私はそこから離れ仕事を続けて勤務を終えました。

休み明けで出勤すると彼は手術を拒否して
蓮見ワクチンを自宅で打つ事を選択して退院していました。

何ヶ月かした後彼は再入院してきました。

ミイラの様に瘦せ細り話す事も出来ず
そのまま枯れるように息を引き取りました。

この事が私の中でずっと重荷になってきました。

彼に相談された時どう言葉をかけたら彼は死なずに済んだのか
自分は彼の十分な支えになれたか、
ずっと自分が出来なかったことは
自分の汚点として抱えてきました。

都立神経難病センターでALS病棟に一時期出向転勤していた時は
病棟のほとんどが人口呼吸をつけて言葉のない世界で
コミュニケーションを取らなければならない。

慣れない私は患者さんにとって
直ぐに自分の欲求をわかってもらえないダメ看護師と
はじめは拒否されたり、 言葉ではないコミュニケーションを必死で覚え、
患者さんに受け入れてもらうのに必死で
患者の元に通ったものでした。

ナースコールのない世界を経験しました。

 

 

 

中編につづく

 

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