【コラム】母の仕事 〜 私がナースを選んだ理由

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私が看護師を目指した、きっかけ

これを読んでいらっしゃる皆さんは、どんな希望をもって看護の道へ進んだのでしょうか?

私の場合は、気が付いたらその道しか頭になかった、という感じだったかもしれません。
子供のころ夜に誰も私を見てくれる人がいないとき、例えば父の出張などの時。私と弟は母に連れられ、一緒に病院へ連れて行かれることがありました。こんな事、現代ではありえないですよね。当然、当時でも駄目なことだったのかもしれませんが、一昔前は託児所などの設備はない時代でしたから、緊急時などにはお互いに支えあっていたようです。

看護師の控室でお弁当を食べて寝るだけではありましたが、新鮮な出来事だったため、よく覚えています。
私の育った町はへんぴな所で、母親が外の仕事に出るとろくなことがない、と女性の社会進出に批判的な町でした。ゆえに、私の母も看護師を続けていたことを、親戚やご近所の人たちからは色々言われていたようです。子供のしつけが悪いのは母親が仕事をしているからだ、なんてことを言われないためにと、より一層厳しくしつけられた記憶があります。

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今では、母親も仕事を持つことが普通な時代となり、そんな時代があったことなんて嘘のようですが……そんな状況があまりに身近だったため、幼心に母を見ては「こんな大変な仕事は私には無理だ」と思っていました。何しろ、休みが不規則。そして三日に一回は、夜に仕事に出るんですから。

幼心に刻まれた、活躍する母の姿

母は、夜勤に出る前には夕飯を作って出かけていました。
常にバタバタと生活していたような日々ではありましたが、母が楽しそうだったことはよく覚えています。帰宅後は、今日の病院での出来事を面白可笑しく話してくれて、一緒に笑顔で過ごすことが多かったです。

ある時、大叔母様がすい臓がんの末期になり、「実家に戻りたい」という理由で、我が家で同居することになりました。心配する子供の私たちに対し、母は「普通に接してあげなさい。普通に暮らしていた実家が恋しくて帰ってきたんだからね」と、相手の希望を読み取り対応する、今思えば、いわゆる看護目標を掲げていました。

夜中に大叔母が急変した時も、私たちにお風呂場の洗面器を持ってこさせ、ドクターに電話をさせたりとテキパキ指示をしてました。顔を横に向かせ、洗面器で吐血を受けながら先生に状態を説明した母の姿を見ては、本当に心強く頼りになるなあ、と子供心に覚えています。
それ以来、「看護師の資格って、普通に家庭でも役に立つんじゃないか?」と思い始めたのです。

実際、弟が自転車ごと田んぼに落ちた際に鎖骨を骨折してしまったときは、母は手持ちのスカーフで弟の肩をぐるっと固定して車で整形外科へ連れて行きました。よく咄嗟に応急処置が出来たなぁ、と不思議に感じていましたが、どうやら母は若いときは整外にいたようでした。今はスペシャリスト養成に力を入れていますが、看護は総合力、経験値が大きい仕事なのかもしれないと気づかされる出来事だったのです。

いざ自分が看護師を目指してみると

そんなこともあって、ますます看護師の資格に興味が湧いてきた私でした。私が看護職に興味を持った話をした時、母は「大変だよ」と一言だけつぶやきました。

しかしながら、いざ看護師を目指そうにも、私は学生時代は体が弱くてしょっちゅう小児科に通っているような子でした。すぐに高熱は出るし、貧血はあるしで、頻繁に点滴を受けていたものです。そんな私が看護学校を皆勤で出席できたのは、母がしっかり体を作ってくれたからに他なりません。
おかげで栄養学を学び、免疫を上げる食事や貧血を改善する食事もわかり、やはり看護職は人の全体を看る仕事であると学びました。人に興味のない人には理解が出来ない教科も多いかもしれません。普通の専門学校より、学ばねばならない科目も多いと思います。ですが、それらはすべてが、必ずどこかで役に立つ内容なのが看護なのでしょう。

また、子供のころ、宿題を溜めてあきらめていた時には、「全部は出来ないというときは、どれが大事か順番をつけてそれから終わらせなさい」と母によく言われました。実は、これはナースになって一番助かっていることかもしれません。優先順位付けは、命に係わる現場ではそれが出来ないと大変なことになりかねないものです。

母は今も、私の一歩先で

看護職を引退した母は、今もなお働いているような環境です。
祖母の介護に、父の看病。それだけでも大変だと思えば、近所の伯母たちの様子を見に行くなど、まるで訪問看護のようなことを精力的にこなして過ごしています。母が看護師だからってみんな頼りすぎじゃないの、とはついつい思うのですが、本人は楽しそうに動いているようです。「忙しいけど、後になって自分が後悔しないように私に今出来ることはやっておこうと思うの」と、母は言います。

母は私に、義父の介護に悩んでいた時も同じことを言ってくれました。「頼られるうちが花よ!」、と。 私の場合、母が楽しそうに仕事に向かっていたので、仕事は楽しいものだと思っていましたが、実際は決してそうじゃないことが多いのが現実です。しかし、それはどんな職業でもそうなのだろうと思います。

ですが、看護職は個人を相手にしているから対応は一つじゃないところが面白い所であるのもまた事実。何度もいろんな経験をして、自分の懐を増やしていくのも楽しいと思えるようにならないと、と思うばかり。

いつまでたっても、私には母が目標のようです。

 

精神科クリニックで看護師として働いている如月七三さん。
看護師を4年経験後、結婚・出産を機に退職。
長いブランクを経て復帰しました。
派遣でいくつものクリニックを経て、現在に至ります。
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